2016年11月14日月曜日

Dilemma between output and input  発信と受信の間でもぞもぞ


日本にいるみんなが夜中だなぁと思ったので、ここぞとばかりに本音を表現してみようと思います。

今日でイギリスでの生活が75日、学期としてはweek7が終わりました。授業自体は残すところ、3週間ばかり。ここのところはもっぱら、来週のゼミでのプレゼンに向けて準備を進めています。

今日の帰り道、真っ暗な道を自転車で走りながら、今までとこれからのことに思いを馳せていました。自分はこれまで10年間、一つの分野で発信する、伝える側、教える側に立ち続けてきたからか、ひたすら受信するという状況に、未だ慣れきることなく、もぞもぞしています。もちろん、日本にいる間に、教えているつもりで、教わっていることもとっても多かったとは思うのですが、ただ、ただ、受信をし続けるという状況に身を置くことは、新鮮なことこの上ないのです。

言葉を使うことが大好きで、言葉の仕事をしてきたけれど(同時に”沈黙”と”聴く”ということもテーマでしたが)今の自分はまだまだ英語で発信するにしても、伝えたいことが10あったらそのうちの2か3くらいしか伝えられない感覚があります。自分の伝えたいボリューム、深さがそもそもの10を膨らませている気持ちはするのですが、そのニーズを変えることはできないため、もどかしさも変えられません。わかっていることは、英語の力を伸ばすしかない、それだけです。

このもぞもぞ感や、もどかしさをこれからどうしていこうか、悩ましいのですが、こちらで、ワークショップや講演をしてみるとか、自分なりのアウトプットも模索していきたいです。
もちろん、ゼミのプレゼン一つとっても大事なアウトプットの機会ではあり、ちゃっかり、イギリスから政策移転した韓国の社会的企業政策についてをケーススタディを取り入れました。こちらで学ぶことは無関係ではないし、現場で活動していると全く目を向けることが出来ていなかったマクロな視座からものを見る力をつけているところです。

それでも、立場や役割を完全に捨ててきたわけではないですが(リヴオンの仕事は引き続き、必要な限り継続しています)自分にとって、いかに、この渡英が一つの喪失の経験にもなっているかということを身にしみて感じています。よくグリーフの事例で「引越し」を取り上げますが「留学」はあらゆる喪失がそこにあると肌でわかりました。

今まで認めてくれていた人たち、自分を求めてくれていた人たちやあらゆる組織に感謝をしています。

わたしはこれまでどれほど他者の承認に支えられて生きてきたのかと、気がつかせてもらっています。

相対的に自分の価値を感じられていたところから、だ〜れも、わたしのことを知らない、わたしのことを承認することもない世界の中で、自分が自分をどう扱うのか。これは大きなテーマやなぁと。
とはいえ、この点については、悩んでいる暇はあまりなく、毎日大量のリーディングに追われながらも、
立ち止まる時間は欲しい!と思ったので、ちょっと日本語で整理して、ここに置いてみました。

さて、紅茶でも一杯いれて、リーディングに戻ることにしましょうか。

アウトプットとインプット、実践と研究、自分にとってよいバランスの模索の旅はまだまだ続きます。

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