2017年5月16日火曜日

【English】the + country the + 国になる国名


We have to put "the" with a country in the following cases:

1) the + United / Union / Republic

   e.g.  the United Kingdom
          the Republic of the Union Myanmar


2) the + plural

    e.g. the Netherlands
          the Philippines

Everything else → NO the

When I leave "the" out  the names of those countries,
native speakers can notice it, though the sound of "the" is
very little heard.

日本語でいう「おばさん」と「おばあさん」
「主人」と「囚人」をネイティブスピーカーが
間違えるのに日本人が気がつくのと似ていると
Nicolaが言うてた。theは発音しているかしていないか
ほとんど聞こえないようなまさに微妙なところであるが
抜ければリズムが変わり、ネイティブには気づかれるという。




2017年5月12日金曜日

【研究メモ】問題意識の根っこが見えた

研究メモ

今は、夜中の1.03

先日のsupervision以来、そもそもの論文の立て付けを考え直さねばならず、かなり頭を抱えてきている。ほんまに苦しい一週間。いろんな文献を探しては読み、探しては読みと繰り返してきて、少し混乱の背景が見えてきたことを備忘録的に書いておきたい。

「3つの死のかたち」
私が心から敬愛している、死に関する社会学者Tony Walter先生の理論で「プレ・モダンの死」「モダンの死」「ポスト・モダンの死」という三つの死の形がある。この中でプレ・モダン的なものは宗教や伝統が支えてきた文脈における死であり、モダンの死というのは医学によって定義される死、そして、ポスト・モダンの死は個人個人が感情を表出していく自我や心理学を基底に置いた死として説明されている。

私が今回苦しんでいるのは、死別の原因、または関係性によってどこまで絞り込んだ研究をするかという点で、なぜそんなにも苦しいのか考えてみた。

リヴオンのミッションにあるように
「グリーフケア(サポート)が当たり前にある社会」を実現すること

が私にとって一番遠いけれど、一番大事な目標。

支えを必要とする人には死の理由がなんであれ、亡くした人との関係がどういうものであれ、その人が必要とするグリーフケア(サポート)が確実に届く社会に近づけたい。

英国もよくよく調べていけば、かなり日本の状況に近い部分があり、やはり死因、関係性による種別ごとの支援が広がっている。ただ2000年代なかばに保健省が出したガイドラインが私にとってはとても重要なもので、死別のサポートをあまねく届ける必要性をうたっている。

私は自死遺族支援に特化した研究がしたいわけでもなく、遺児支援に特化した研究がしたいわけでもない。

全ての死因、関係性でどうグリーフケアが届けられるのかの可能性を検討したい。

もちろん、それぞれを深く掘り下げて、積み重ねていった上に、望んでいるビジョンが見えてくるのかもしれないし、修論はまだまだ入口に過ぎないから浅く広くなるより、狭く深くがよいのは百も承知。だけれど、やっぱり現在はひどく葛藤している。

そんなところに上記のトニー先生の理論を読んだときに、あぁ、なるほどと腑に落ちた感があった。
かつては、死の原因がこうだから、ケアしましょうとか、親を亡くした子だから支えましょうではなくて「死」というものを平等に見る力をもった、ある意味、あらゆる違いを越えて、死と生(いのち)の大きな物語の中で、死別を経験した人や、死を迎えんとする人たちを支えてきたのだということ。トニー先生に以前お会いしたときに、英国のグリーフケアが "highly medicalised"(「かなり医療のものになっている」)と言っていいたのも納得で、結局は医療のメガネで見ると、グリーフは分断的になっていくのだろう。

私はかつての形を取り戻したいわけではないが、分断的だけではないグリーフケアの世界をつくりたい。

「伝統的」「宗教」の限界はありつつ、そこに最大限の可能性を見据えながら、そして何より今は「社会政策」(国だけでなく、あらゆる担い手を前提とした)の視点から、可能性を探りたい。

この10数年出会ってきた多くのご遺族や死別を経験してきた人たちが教えてくれたこと。
死の種類、関係性を越えて、みな死を、死別を経験するという
前提をもってして、この時代に必要なグリーフケアの形を考えていきたい。

さて、どうしよう。
どこをどう、絞るか。
まだまだ悩ましい。

2017年5月7日日曜日

【課題のおはなし2】Healthの頭とTradeの頭


説明を日本フィリピン間の二国間協定で看護師候補者を
日本はフィリピンから2008年から受け入れています。



















春学期はGlobalisation and Social Policy
グローバリゼーションと社会政策の
授業を受講していて、そこで出た課題
(4つのうち自分が選んだものは)

ある国を選び、保健省の公官として
貿易関連の省庁の大臣に対して
ポリシーレポートを提出するというもの。

内容としては二国間経済協定(Bilateral
 Economic Partnership Agreement)
や関税および貿易に関する一般協定(GATT)
によって生じている、保健分野の弊害について
分析して該当する貿易協定に対する政策的な示唆を
与えるべく書かなければいけないというもの。

最初はオリンピック前でホットな話題になってる
タバコ関係にしようかと思ったけれど
自分がより興味のあるものを選ばないと
心身がもたないということを秋学期の
課題で知ったので、日比EPAの看護師候補者の
受け入れ制度にしました。

この課題なにが難しいって
Health 分野から書かれている論文は
かなり見かけるのですが
貿易の視点から書かれているものが
見当たらない上に、日ごろわりと
Healthの分野に近いので、自分の頭が
TradeとかEconomicにまったく行かないのです。
行き来させられるようになるには「脳の筋トレ」
必要でした。

※「脳の筋トレ」とは井上英之さんにコメントもらって

まさしく!という言葉だったので、使わせていただきました。
ありがとうございます。

このEPA自体は、医療者の外国人受け入れを
ほとんどしてこなかった日本にとってはとても
大きな協定でした。(2000年中頃、日本にいる
外国人医療者は全国で100人程度)

でも蓋を空けてみれば、なかなかに複雑な事情に
なっており、医療現場は慢性的な離職率の高さと
人材不足という課題を抱えている状況の中、厚労省は
外国人を受け入れることはあくまで

「看護・介護分野の労働力不足への対応として行うものではなく
相手国からの強い要望に基づき交渉した結果、経済活動の
連携の強化の観点から実施するものです」

ということでなかなかに、政策意図が曖昧で
現場と政策との乖離がかなり指摘されています。
フィリピンやインドネシアの看護師「候補者」
たちは実際、自分の国で資格を持っているのですが
日本の国家試験を日本語で3年(+1年延長)のうちに
合格しなければ帰国しなければいけません。その日本語
教育は12ヶ月のトレーニングを経産省と外務省が担当して
民間企業に委託したあとは、病院で働きながら、学んで
くださいということで、病院の側もなかなか、どうやって
医療のトレーニングと、日本語のトレーニング、それから
国家試験対策を担っていくのか、試行錯誤の連続です。

厚労省自体が変えなければいけないところがあるのでは…
と思いつつも自分の立場は厚労省の一役人というロール。

まぁ、そんなこんなで私のポリシーレポートを作成するに
あたっては、この政策の改善についていかにして「貿易大臣」宛
のものにするのかを悩みながら、なんとか書き上げました。

どんなレポートを書いたかは、お恥ずかしいので、一応秘密です。


【課題のおはなし 1】Readingの量

実際に読んだものを並べてみました


















留学して早9ヶ月

多方面の留学経験者のみんなから
Readingの量が「すんっごい量」
と聞いていたけれど
課題を5000words×2本
仕上げるのにこれだけよみました。
参考になるものもなりそうなものも
とにかく読む読む、読む…。

縦にも並べてみましたが、重たくて持てない…。


















実際読んだ量はおそらくこの1.5倍位でしょうか。

というのも印刷まではせずに画面上で読んだものも
それなりにありました。
デジタル・ネイティブな世代の同級生たちが
ほぼ画面で読んでたので、ecoやし、ええなぁと
なかなかに羨ましいと思いましたが、わたしは
ド・アナログ人間なので(あれ、ドって、ど?)
早々にあきらめて、印刷しました。
紙に線引っ張ったり書き込む身体感覚が
わたしには合うようです。

とんでもない量って
どのくらいなのか自分でも
想像がついていなかったけれど
振り返ってみればA4のコピー用紙
500枚1パックがあっという間に
空になっていた。

おうちのプリンターも
「ようがんばってくれました!」
と労いたくなる。

ありがとう。

修士課程一年の英国留学では
課題ともこれでお別れです。
いよいよ、これからは修論の
本格準備。一体この何倍くらい
読むのでしょうか。

楽しみでもあり、恐ろしくもあり。

まだもうちょっと「課題のおはなし」
振り返ってみたいので、よければ
おつきあいくださいませ^^

2017年5月1日月曜日

頭の使い方が全く違うんです

論文を書くときの頭の使い方と
仕事をするときの頭の使い方が
あまりに違う。

一旦論文を書く作業に入ると
仕事に戻ることができなくなる
メールを一本返すのにも億劫に。
ごめんなさい。

一体どうしてこんなに「違う」
のだろうか。

論文を書くとき
一気にものすごい量の情報を処理する。
読む量もさることながら、そこから
何をどう組み立てるのか、取捨選択
しなければいけないし、何よりも
「論理的」でなければならない。

もちろん
仕事をするとき
にも以上のことは必要になったりするが
情報の「量」が異なるのか
たった1つのパラグラフを書くのにさえ
圧倒的な量が求められる。
何本もの論文を探して、読んで
またReference List から論文を
さらに辿って…と。

学術の世界で
まだまだヨチヨチ歩きの私は
自分のやりかたがあっているのかも
わからず…いささかの不安も。

研究者の人たちが
どんなふうに書いているのか
覗き見してみたくなる。

ほんまに、すごいなぁ、学者さんって。

心から敬意でいっぱいです。

ただ、大事なことは自分自身で
時間かけて身につけていくんやろなぁ
とこのブログを読んで思いました。

「描き方を教えるのは簡単だ。
でも、大事なのは自分で気づくことだ。
教えられることに慣れた人間は、
自分だけの力で同じことができなくなっていく。
気づく目を持つには、対象物と徹底的に向き合う
時間が必要なんだ」

という言葉が響きます。

地道にこつこつがんばります。